小編11について
- ゆずは 鳥乃

- 1月18日
- 読了時間: 4分
こちらは一次創作『九宝のせかい』小編11についての記事になります。小編11をまだお読みでない方は、先にお読みいただいた方がより楽しめると思います。
小編11は以下のURLからお読みいただけます。
小編11はエドワードを主役にした短いお話です。
エドワードの誕生日が1月15日なので、その日に公開できるようにと書いていました。無事に公開できてよかったです。
エドワードはウィリアムと並んで『九宝のせかい』のダブル主人公なのですが、その割に二人を主役にしたお話はあまり書いていないんですよね。特に意図したわけではなく、なんとなくこの二人は書きにくいといいますか。主人公で、大事なキャラクターだからこそ、大事にしすぎてなかなか書けない、みたいな感じです。
でも私はエドワードのエピソードを書きたいと思っていたので、今回エドワードの誕生日もあり丁度いいので重い腰を上げた次第です。
エドワードは小編内でもわずかに言及している通り、人ではありません。その正体は破壊を司る「九宝」の一つ、「黒の剣」の化身です。だいたい3万年くらいあの世界に存在しています。これでも九宝兄弟の中では末っ子というね……。
とんでもなく長生きなので、エドワードにとって人程度の寿命の生き物はみんな庇護すべき存在なのかもと思います。そこまでは思ってないかな。「まだ50年しか生きてないの? 若いね、まだ子どもじゃん!」くらいには思ってるかも。千年生きてても「でも言うてまだ千年でしょ?」みたいな感覚かなあ。この点はエドワードだけじゃなくて九宝兄弟みんなに言えることですけど。
エドワードは自分が持っている破壊の力を恐れています。それは誰かを傷つけることができる力だし、それを持っている自分はその気がなくても相手を威圧してしまいます。だからエドワードは力の使い方、自分の立ち位置、誰の味方になって誰の敵になるか、自分はどうやってこの世界と関わっていけばいいか、そういうことを常に考えています。
エドワードは「正義の戦士」を自称することがありますが、それはエドワード自身がそうあらなければならないと思っているからであって、決して自分こそが正義の代弁者だなどと考えているわけではありません。むしろ反対で、もしそれぞれの主張のために誰かと争いになった場合、エドワードは圧倒的に強いので絶対に勝つんですよ。そうしたら結果的に勝った方の主張が正義になり、負けた方の主張は悪になります。エドワードはその力ゆえに必ず正義を成すことになるので、絶対に間違えられないわけです。
だからエドワードはいつでも正しいことを選択できる自分でいなければと思っているし、そうしようと努力しています。そのためにエドワードは困っている人は必ず助けるし、悪いことを見つけたら無視できません(このせいでエドワードは性格の悪い真白が嫌いです)。
でもこのエドワードの人助けって、真に相手のためにやっているというよりは、エドワード自身のためにやっていることだから、言ってしまえば偽善なんですよね。エドワードは自分の力の使い方を間違えることで周りを巻き込みながら破滅に向かうことを恐れていて、誰が見ても恥ずかしくない正しい行いを続けることで自分を保っているようなところがあるから。困っている人を放っておくような自分は正しくない、正しくない自分は許せない。だから突き詰めれば別に誰かのために人を助けてるわけじゃない。
私は結果的に助かっている人がいて、見返りも求めないこういう偽善は悪いことじゃないと思っていますが、創作主としてエドワードには一回この偽善という見方と向き合ってほしいなと思います。だって面白そうだから。
最初はエドワードが格好よく戦う話にしようかと思ったんですよ。ウィリアムのときもそういう話にしたし、主人公コンビとしてお揃いにしようかと思って。でも結局やめました。
だってエドワードが何かと戦ったら、何が相手でもワンパンで片がついちゃうんです。一発殴れば相手はピューンとお空に飛んで行って、星になっておしまいです。それじゃあっけなさすぎてさすがにつまらないな……ということで小編11は内面的なお話になりました。
エドワードの戦闘を描くなら全力で戦うよりも、なんとか手加減しながら戦わなきゃならないようなシチュエーションの方が面白いかもしれないですね。そのお話はまたの機会に。
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